2008年09月24日

戊辰ロード

0921式典@0921式典A0921式典B

議会は今日から決算審査特別委員会の各分科会に入ります。

というわけで!?(分科会からの出席要請があった場合に備えて)、私は執務室に拘束されます。

こんなときこそ、ある程度まとまった時間を要する行政課題関連の庁内協議に充てたいところですが、担当部課長は、当然のことながら、議会審議に出席or対応準備ということで、ままならず…

そこで、ブログを書いたり、本を読んだり、部屋の片付けをしたり…とある意味贅沢な時間の使い方をすることになります。

さてさて、この前の日曜日のことになりますが、国道289号線の交通不能区間の1つであった甲子道路の全線開通式にお招きをいただき、出席してまいりました。(交通不能区間の様子はこちらにも…)

この甲子道路は、福島県にとっては、私たちが八十里越に対して抱く認識と同じ認識があるようです。

曰く、古来、甲子峠は、会津地方と中通り地方を結ぶ広域幹線道路だった。車社会の到来により、甲子峠利用は衰微し、両地域の交流は激減した。したがって、甲子道路を一日も早く完成させ、県南地方の重要な横軸を復活させる必要があるんだと…

この道路完成は、本当に福島県全体にとって悲願だったんだなぁと思ったのは、地元紙である福島民報福島民友さんが大々的に取り上げていること、そして、会津地方出身である佐藤雄平福島県知事と国道289号線建設期成同盟会長の渡部恒三衆議院議員の、まさに万感胸に迫る想いを吐露するようなご挨拶、そして何よりも、沿道の皆さんの満面の笑みです。

そして私はというと、甲子トンネル内で行われた式典に着席していたとき、私の背後(会津地方側)から吹いてくる風を背中に感じながら、不思議な感覚に襲われていました。

その風が、八十里越の向こう側にある会津地方を構成する只見町からのものに感じたからです。

今回の式典や祝賀会では、渡部篤衆議院議員佐藤信秋参議院議員鈴木白河市長さんが、新潟県側から唯一三条市長が出席していることにわざわざ触れていただいた上で、この出席に込められたメッセージは甲子道路の完成により国道289号線で交通不能区間は八十里越のみとなった。そのことをお忘れなく引き続き協力いただきたい≠ニいうことなんだとご紹介いただきました。

また、郡山国道事務所長さんのお取り計らいで、急遽、皆さまにご挨拶をさせていただく機会とくす玉開披に参加させていただく機会をいただきました。

どれもこれも、次は八十里越なんだ!!という応援なんだと本当に感謝しています。

大内@0921大内A

話は一転するようですが、今年は戊辰戦争から140年という節目の年でもあります。これを機会に、この式典の前日には、会津若松市で奥羽越列藩同盟の主だった藩主の末裔を一堂に会するシンポジウムがあったそうです。

会津若松市長さんがそんな話を持ち出しながら、八十里越は長岡藩家老河井継之助が長岡戦争敗北後会津に抜けるために通った大事なルート。だから、国道289号線は戊辰ロードと言っても言い過ぎではない。長岡市と会津若松市だけでなく、三条市も一緒になって連携を取っていきましょう≠ニありがたい言葉をいただきました。

お祝いに駆けつけたのに、逆に、励ましの言葉ばかり頂戴しました。近くて遠い存在を昔のように近くて近い存在にするために頑張りますので、関係各位には引き続きのご支援お願い申し上げます。

ちなみに、祝賀会で流れていたこどもサミットの取組。八十里越でも引き継ぐことができないか長岡国道事務所さんとも相談したいと思います。

(写真は、祝賀会の帰りに立ち寄った大内宿。江戸時代の情緒が残っています。運転手と2人でブラブラしていたらちょっとお伺いしますが、新潟県三条市の国定市長さんではありませんか?≠ニ声を掛けられました。三条市の方が旅行でいらしていたそうです。完全に仕事から離れた人様にお見せできない顔で対応していたのではないかと恐縮しきりです…)
posted by 国定勇人 at 11:41| 新潟 ☔| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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