
昨日、一昨日と、福島県只見町さん
八十里越については何度か触れておりますが、戊辰戦争では、長岡城の攻防戦で負傷した長岡藩家老河井継之助が会津に逃れるため、この峠を越えるなど、大変歴史のある街道でした。

特に、峠越えでは、八十里腰抜け武士の越す峠≠ニ自嘲の句を詠んでおり、これが司馬遼太郎さんの小説のタイトル峠≠ノも通じているほどです。
それが今では、自動車の交通不能区間。
しかも、昨年、もう1つの交通不能区間であった甲子トンネルがめでたく開通したことから、太平洋と日本海を結ぶ国道289号線で唯一の交通不能区間となってしまいました。

今後、一日も早い交通不能状態を解消するため、官民挙げて促進運動を展開していかなければなりません。
そのために必要なことは、新潟県側と福島県側の交流イベントを活発化していくことです。
この点については、只見町長さんと協力の確認ができました。
その際、只見町長さんと単なる道路の促進だけを目的としたイベントはやめにしよう。八十里越が本来持っていた歴史的意義などに踏み込んでいこう。できれば、地方主権の時代に叶った分野横断的な交流イベントを組んでいこう≠ニの基本的考えについても確認できたのは、大変良かったと思っています。

上の写真は、県境トンネルの福島側の出口です。県境トンネル約3.2kmのうち、残すところ約500m。このトンネルが開通し、写真手前の最後の沢に橋梁が架かれば、工事用道路との併用で、少なくとも、只見町と三条市が自動車で通行できるようになります。
ここから5年間が勝負どころです!!


