昨日のブログでも触れましたが、今回の研究会の出席を通じて、立上げから参加させていただいている“スマートウェルネスシティ(SWC)首長研究会”の活動がいよいよ社会的に認知され始めたのかな!?と実感することができました。
実感するに至った要素は幾つかあるのですが、その中でも最たる象徴的な出来事は警察庁本庁から参加いただいたということ。
これは実に画期的なことです。
もとより、SWCの概念を分かりやすく紐解けば、“歩いて暮らせるまち”を実現することであって、その実現のためには、歩く場所そのものである道路の取扱いは極めて重要であることは自明の理でありました。
どころか、この“道路の取扱い”の重要性については、急速に身近なものとなりつつある本格的長寿社会の到来に伴い、自家用車による移動が困難になる方々が確実に急増することが容易に想像できる今日、SWC的発想を持ち合わさなくとも、否が応にも取り扱わなければならない社会的課題となっております。
先日出席させていただいた衆議院国土交通委員会の交通基本法案審議に関する参考人質疑でも、重要な論点の1つになったのは“道路利用、交通の優先権”、つまり“道路は誰のものか”という点でした。
私とともに参考人として出席した都市交通評論家の亘理章氏は、意見陳述の中で、あるいはその後の質疑(公明党の高木美智代代議士との質疑応答が顕著だったと思います)の中で、次のような趣旨の発言をされております(正確には動画や議事録をご覧いただければと思います)。
○人、自転車、公共交通及び自動車がどの順位で優先権を持つのかを道路の用途によって分類し、その優先権が道路の利用者に分かるようにコンセプトを設定してもらいたい。
○欧州では、移動の保障を通じて、市民の自立や社会参加ができるという考え方がある。加えて、交通の優先権という考え方(≒社会的合意)がある。原則として、歩行者>自転車>公共交通>自動車という順位となっており、人が優先され交通弱者の生命・安全確保が重要となっている。自転車が優先とされる道路では、バス・LRTの前方を自転車が悠然と走る光景があり、公共交通機関といえども追い抜いてはいけないとされる。
○欧州には、中心市街地への自動車乗入れを禁止するといったマイカー規制はないが、全ての乗り物の選択の自由を保障し、歩行者等と共存できるスピードで走ってくださいとの考え方がある。
まさに正鵠を得た主張であり、SWCを進める上で拠って立たなければならない道路の取扱いを巡る重要な考え方だと思います。
そして、この考え方を実現するためには、交通基本法が成立し、交通基本計画の中に、その考え方が理念として打ち出されるとともに、道路における具体的な運用上のルールを定めた道路交通法等の所管官庁である警察庁、国土交通省において、その考え方に基づいた政策への抜本的変更が必要となります。
でも、霞が関や永田町の空気感に触れたことのある方であれば、ご承知のとおり、警察庁はなかなかどうして非常に壁が厚い、いろんな意味で難しい組織です。
そんな組織である警察庁さんが、国土交通省(今度は久野先生とも相談して交通政策セクションからもお越しいただければと思います)さんとともに、SWC首長研究会にご出席いただけたことは、少なくとも私にとっては青天の霹靂のサプライズっ!!!
本当に嬉しかったです。
多くの会員でいらっしゃる市町村長さんは、日頃の地元警察との関係に不満を持っていらっしゃっており(これは全国共通ですねっ!!!)、“いったい警察は道路を誰のものだと思っているんだ”“なぜ自動車のことばかり考えるんだ”“あまりにも現実離れしすぎた運用しかしない”等々の意見が続々と表明されたところで、それはそれで十分理解できるのですが、私自身は、基礎自治体と警察当局とがまずはお互いを拘束しない、お互いの価値観を理解しあい、信頼関係を深めていくための自由な意見を交わす場ができたことを大いに評価したいと思っています。
そもそも、冒頭申し上げたように、あれだけ厄介な!?警察庁さんがSWC首長研究会に臨んでいただけたということは、それだけ本研究会が取り組んでいるテーマに感心を示していることの表れだと思いますし、現時点では、この組織としての意識変化の兆しを感じ取ることができたということだけでも良しとすべきでしょう。
まだまだ試行錯誤の続くSWCの取組ですが(三条の取組はこちら)、取り組んでいる方向感に誤りはなかったんだと感じさせてくれる貴重な一日となりました。
ここからは全くの余談。
基礎自治体は“補完性の原理”“近接性の原理”から言っても、社会的に益々重要性の増す社会的主体であることは論を待たないところでありますが、そうした期待を担っているのも、住民に最も身近なところにあるだけでなく、“行政の総合デパート”的機能を有しているからだと思っています。
でも、基礎自治体も決して万能な“総合デパート”ではありません。
法務局、ハローワーク、保健所、年金事務所、土地改良区や、今回のテーマに密接に関わっている警察署などなど。
これらは、その行政分野では住民に最も身近なところに位置する組織であるにも関わらず、市役所とは全く独立した行政(公共)機関です(尤も警察は戦後暫くの間は自治体警察として、市と一部町村がその役割を担っていましたが…)。
私が社会人人生の第一歩を踏み出した郵政省も、郵便局という同様の性格を持つ組織を持っていました。
そんな組織(郵政省)を経験した人間として無責任に呟いてみると、自ら住民に最も身近な組織(郵便局)を有してしまうと、その完結した世界観だけで物事を捉えるようになり、それ以外の住民に身近な組織(例えば市役所)の存在を極論すれば軽視しがちです(少なくとも、意識しなければ軽視してしまう危険性を常に孕んでいます)。
でも、住民からみれば、自分達にとって身近な行政機関は、やはり市町村役場なんですよね(地元の新聞に占める行政に関する話題の圧倒的多数は、基礎自治体の発する情報であることをみても、私どもの独りよがりではないと思います)。
実際に、市役所以外の、先ほど触れた機関に従事している職員の方々が“住民は自分達のことを見ている”と意識している以上に住民は当該組織に意識を払わず、“その仕事は俺達の仕事であって、市役所の仕事ではない”と思っているほど市民の多くは正式な線引きを持たずに、市役所が担っているものと漠然と捉えているというのが現実的な肌感覚だと思います(例えば、歩行者天国の交通規制に対する不満の矛先は警察ではなく主催者である市役所であるなど…)。
だからこそ、私たちは、こうした組織とは、平常時から意識してコミュニケーションを図らなければなりません。
何故ならば、市民のために連携を深めていくためには、先に触れた世界観から抜け出していただかなければならず、それはやはり、その世界観の外の人間が手を差し伸べなければならないのですから…