2014年06月13日

父なる越後、母なる会津

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昨日、長年の悲願でもあった八十里越街道の全線踏破を敢行いたしましたっ!

現在、自動車の通行可能な道路を建設していただいているのでありますが、未だ全線開通には至っていないため、今も、この八十里越街道が国道289号線の現道となっております。

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さて、この八十里越街道でありますが、これまでも幾度となく、拙ブログでも紹介してきておりますとおり、古来より、越後と会津を結ぶ重要な幹線ルートとして知られ、多くの人々や物資が往来し、上杉景勝公や河井継之助公など、歴史の節目節目にも、それらの歴史的人物の名とともに、その名を刻んできたわけでありますが、自動車が主要交通手段となった今、八十里越街道は、歴史の彼方に忘却されてしまう危機に瀕するほどの立ち位置に落ちぶれてしまいました。

そんな中、自動車の通行可能な道路の一日も早い全面供用を実現する観点からも、再び、八十里越街道に着目し、その機運を盛り上げようと、只見町さんと連携しながら、“秘境八十里越体感バス”など、様々な仕掛けを講じてまいりました。

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そして、今回取り組んだのが“八十里越街道の全線踏破”プロジェクトっ!

只見町商工会の酒井副会長さんからも強い要請もいただき、今回実現する運びとなりました(今回の全線踏破でもご同行いただきました。本当にありがとうございましたっ!)。

今回のプロジェクト遂行に当たり、ご協力いただきました全ての関係者に、心から御礼申し上げますっ!

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さてさて…

一口で“全線踏破”と申しましても、その困難さたるや言語に絶するものがありました。

元々“八十里越”の由来が“実際の距離は八里しかないのですが、あまりの険しさゆえ一里が十里にも感じられたため”であることを思い出していただければ、少しはご想像いただけるのではないかと思いますが、当時の状況に加え、7.13水害や7.29水害という未曾有の大水害を立て続けに受け、その都度、至るところで、街道が寸断され、今もその多くがそのままとなっているため、恐らく往時以上の困難さが私たちを待ち受けていたと言っても過言ではないかもしれません。

その結果、全線踏破に要した時間は、実に11時間半っ!

自分で自分を褒めたくなりますっ!

頑張ったな、オレっ!

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でも、ただ単に、急峻な山道のみを歩き続けたというわけではありませんでした。

かつては、人馬が、そして多くの荷物を運搬するための荷車が往来する主要幹線道路だっただけのことはあって、往時の面影が残っている多くの区間は、3メートルから5メートルもの幅の広さを有し、急峻な区間も九十九折となっていて、人馬に優しい道路づくりに腐心されている様子が窺えます(ですから、正確に言えば、“その困難さたるや言語に絶する”状態だったのは、往時の道が崩壊した場所だけだったのかもしれません)

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今、この状態で、皆さんに、“是非とも、一度はトライしていただけませんか?”とは口が裂けてもお勧めできませんが、何とか、歴史の薫る、そしてブナ林を始めとする秘境感の漂う、この八十里越街道を気軽に体感できる方法はなかろうかと、考えを巡らせ始めております。

折りしも昨日未明、“自然首都”を自認されている只見町さんがエコパーク認定を受けました。

八十里越とエコパーク、この2つの要素を最大限に活かす取組を展開していきたいと思います。

拙い写真で申し訳ございませんが、秘境感溢れる八十里越街道の今をご堪能くださいませっ!

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なお、表題は八十里越を歩いての率直な感想です。八十里越街道のうち、最も急峻で、それ故、山腹崩壊を起こしている箇所さえあり、道なき道を進むのが越後側(とりわけ三条市エリア)で、往時の面影を残し、癒しさえも与えてくれるのが会津側でありました。ですから、悔しいですが、八十里越街道を体感するのであれば、舞台は只見町エリアの方が賢明ではないかと…
posted by 国定勇人 at 15:34| 新潟 ☁| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする