2015年09月14日

吉ヶ平、再生。

14421953951432.jpg

吉ヶ平。

越後と会津を結ぶ八十里越街道の越後側最初の玄関口にして、最後の見送り口。

つまり、越後、そして三条市の最果ての地。

ですが、今は誰もここで生活を営んでおりません。

昭和45年。

800年もの間、八十里越街道という大往還の越後側の最初であり最後の集落として栄えた、その長い歴史の幕を静かに閉じました。

14421954221253.jpg

しかしながら、この集団離村を以って、世の中全ての人々から、吉ヶ平という存在を忘却の彼方に追いやったわけではありません。

例えば、唯一朽ちることのなかった旧森町小学校吉ヶ平分校。

この旧校舎を地元の方々や集落の元住民の皆さま(牛野尾谷五ヶ会、雨生会、吉ヶ平保存会などなど)が大切に大切に保存してこられました。

いつか再び、吉ヶ平に世間の光が当たることを信じて…

でも、そんな旧校舎もまた、40年を超える歳月と、その積み重なった長い歳月の間の厳しい風雪や度重なる水害の前についに力尽き、解体を余儀なくされる時期を迎えることとなりました(冬季の積雪量は4〜5mに達する中、それでも躯体を最後の最後まで維持していたのですから、そのこと自体、奇跡的な出来事です。それだけ、各団体の皆さまに大切に守られていたということなのでしょうね)。

14421953527661.jpg

さて、こういうときこそ、行政の出番です。

歴史に名を留める吉ヶ平の存在を、人々の記憶の忘却の彼方に追いやってはなりません。

新生八十里越街道の道路整備が進んでいるからこそ、道の果たしてきた役割を歴史の証人として現代に生きる我々に身を以って示すためにも、八十里越街道の重要拠点であった吉ヶ平を遺し続け、次世代に伝承しなければなりません。

そんな思いを胸に秘め、人々の交流という吉ヶ平が長い歴史の中で背負ってきた役割を再生しようと進めてきたのが、今回オープンした“吉ヶ平自然体感の郷”、そしてその中心施設としての“吉ヶ平山荘”です。

人々の交流を意識したとはいえ、居住機能中心から観光機能中心に軸足を移すこととなりましたが、それでも、これまで積み重ねてきた長い歴史を完全に幕を下ろすことなく、新たな形に変えながらも次の世代に、“吉ヶ平”をバトンタッチできたことに安堵しております。

14421953191900.jpg

残念ながら、集落としての吉ヶ平の匂いはあまり残ってはおりません。



それでも、分校の門柱やオルガンなど、これまでかろうじて生き残っていた貴重な財産は引き続き残すこととしました(門柱にあった校名板をどなたかが持ち去ってしまったそうです。この再オープンを機に、そっと戻していただけるとありがたいのですが…その良心に期待したいと思います(ついでに申し上げれば、「吉ヶ平山荘」の看板もどなたかが持ち去ってしまったそうです。おかげで、私の拙い文字が掲げられることとなりましたが、これもまた本意ではありません。こちらについても、その良心に期待したいと思います))。

そんな歴史を味わいつつ、再生された吉ヶ平を体感していただければと思います。

(尤も、過去の記憶を遺すだけが“吉ヶ平自然体験の郷”の目的ではありません。その点については、改めて書き綴ってみたいと思います。)
posted by 国定勇人 at 10:59| 新潟 ☁| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする