2015年12月08日

“燕三条”にこだわる

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これまでも何度か触れておりますが、県外に出張する折、自己紹介をすると、ほぼ十中八九、“燕三条市ではなかったのですか?”“燕三条と三条は何が違うのですか?”と聞かれます。

もう少し正確に申し上げれば、大半の方々が私との会話の終始にわたって、“ところで、燕三条市さんは…”とか、“燕三条市は羨ましいですよねぇ…”とか、何の躊躇もなく、“燕三条”を連発されます。

そうなのです。

県外の方から見ると、この地域は、“三条市”“燕市”ではなく、“燕三条地域(≒燕三条市)”なのです。

私は移住した当初から、“県外の認識が「燕三条地域」である以上、ものを売ってナンボのものづくりのまちである私たちの地域は、顧客の認識に寄り添い、「燕三条地域」で押し出すべきだ”“「燕三条地域」を意識した上で大きく俯瞰すれば、燕市も三条市も、経済圏、生活圏、文化圏は、ほぼ同一であると言っても過言ではない(この点については大いに異論を受けそうですが、私はそうした指摘は想定するレベル感(俯瞰の度合い)の違いだと思っております。同じ三条と言っても、保内地区と嵐南地区、嵐北地区と下田地区、大島地区と栄地区などなどそれぞれ違いがありますが、広く経済圏、生活圏、文化圏と問われれば、同一だと答えることに違和感を覚えることはないと思います。だって、“あなただって三条市民でしょ?”と県外の人に問われて“いや、私は裏館住民であって三条市民と言われるのは心外だ”と食って掛かる人はいませんでしょ?)。本来的には行政も大同団結し、燕三条市を目指すべきだ”と強く思い、今でもその基本的考えを貫き通しているわけでありますが、少なくとも、“ものづくりのまち”として圧倒的な市場である県外の顧客の認識の寄り添うことを考えれば、産業施策については直ちに“燕三条地域”をベースとした取組に拘るべきだとの考えから、様々な取組を展開してきたところです。



この考え方は、顧客認識が確立されていない海外販路開拓戦略においても同様です。

ここまで、情報、商品が国境を越えて飛び交い、人々が自由に往来する世の中、基本的なイメージ戦略を国内と国外に明確に区別して確立させることはもはや不可能ですし、それに固執することはもはやナンセンス以外の何物でもない。

戦術レベルの強弱、微修正はあれども、根本的な基本的戦略を区別するような時代は、インターネットが確立した段階で、完全に過ぎ去ったのです。

だから、海外販路開拓についても、“燕三条地域”に拘ってきました。



その中で、当初(少なくとも私自身は)想定していなかった“燕三条地域”に拘るメリットも見えてまいりました。

海外販路開拓にあたっては、BtoBよりもBtoCを先行させ、燕三条地域の技術力の高さをその市場浸透度を通じて認知してもらうことが正しい筋道と考え、まずはBtoC市場へ積極的な展開を図っているのですが、そのときにはミクロレベルにおける“燕市”と“三条市”の個性が合わさる方がより厚みを増すことが良く分かってきたのです。

私たち燕三条地域のBtoC市場向け製品の特徴は、毎日使うような、日々の生活そのものに密着した製品群です。

そういう意味では、製品群を通じて、新たなライフスタイルを提案することに長けた地域と言ってもいいと思います。

ただ、ミクロレベルでは(厳密な違いはないのですが)、新たなライフスタイル全般を提案するには、何となく洋食器に偏っている燕市と、何となく利器工匠具に偏っている三条市、それぞれだけでは完結せず、両者が補完的な関係として支え会うことによって、より厚み、深みを増すことができる…これが、これまでの経験で得ることのできた新たな、しかも強烈なメリットであると考えております。

そんな紹介をしつつ、香港での企画展の話に入ろうと思ったのですが、想定以上に枕詞が長くなってしまったので、ここでまずは一区切りとします…
posted by 国定勇人 at 13:32| 新潟 ☁| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする