2016年06月24日

三条から燕三条へ

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先日も安倍総理の“燕”と“三条”の混同について少し触れましたが、私は全く安倍総理のこのときの演説を批判するつもりも、嘆くつもりもありません。

この安倍総理の、この地域に対する認識レベルこそが県外のスタンダードだからです。

これまでも何度も触れてきたとおり、私の肌感覚では、私たちの住まうこの地域は、県外の方々にとって、“燕三条”という括りで認識されてはいても、さらにそれを“燕”と“三条”に細分化しようという人は全くと言っていいほどいません。

実際、三条市長という立場で講演に立ったり、面会させていただいたりする場面でさえも、どれほど、“燕三条市”という言葉が司会者や相手側から発せられたことか!

仮に、(安倍総理のように)気を使って“燕”と“三条”を区別していただいても、その違いを正しく認識している方は、まずいらっしゃいません。

でも、これも繰り返しになりますが、私は、そうした県外の方々の一般的な認識(この地域に住まう人々から見ると誤解)を批判するつもりも、嘆くつもりもありません。

何故ならば、私たちは共に“ものづくりのまち”ですし、“ものづくり”である以上、買い手の気持ちに寄り添うことこそが大事であり、私たちだけが云わば拘るアイデンティティ(≒買い手にとっては云わばどうでもいい違い)を買い手に押し付けることに何らの意味を見出すことができないからです。

実際、燕三条地域は、金属加工産業という括りで見れば、完全なる同一産業経済圏ですし、金属加工産業の内部を詳しく覗いてみれば、燕単独よりも、三条単独よりも、バリエーションを広く揃えることができ、それは即ち、我々のビジネスチャンスを高めることとなります。

少なくとも、私たち三条市は、それを意識して、“燕三条ブランド”に端を発し、その後、“燕三条工場の祭典”“燕三条ものづくりメッセ”など、“燕三条”を意識した産業政策を展開してまいりました。そして、それ相応の手応えを感じつつあります。

とはいえ、国内市場相手のみでは、人口減少社会にあってシュリンクしていくのみ…

この“燕三条”の強みを海外販路開拓にも援用していかなければなりません。

これまでも、燕三条地場産業振興センター(これも考えてみれば、県央地域地場産業振興センターという名称だったのを改名したのですよね。あのとき難色を示した理事さん達は今でも批判的に捉えているのでしょうか?少しだけ、興味が沸くところです)の下、“燕三条ブランド”で海外見本市に打って出ていたのですが、今回、力強い援軍が現れました。

それが燕三条貿易振興会。

燕三条地域の企業の皆さまが立ち上げて下さいました。

というより、正確に申し上げれば、数十年という長きにわたって活動してきた三条貿易振興会を改組し、燕三条貿易振興会にスコープを広げて下さったのです。

これは本当に嬉しいこと。

これが実現できたのは、長谷川直哉会長の熱意と、燕の産業界への橋渡し役を担っていただいた三条商工会議所の斎藤会頭(この会では顧問に就任いただきました)、斎藤会頭の要請を快くお引き受けいただいた燕商工会議所の田野会頭(同じく顧問にご就任)の度量の大きさ、そして副会長に就任いただいた玉川堂の玉川社長の心意気、そして、この方々を信じて承認いただいた会員の皆さまのお蔭であります。

本当に、本当にありがとうございます。

私たち行政も、こうした産業界側のご尽力に報いるためにも、お手伝いしていかなければなりません。

今年は、ベトナムミッション、ロシアミッション、そして中国ミッションでお手伝いさせていただきます。

必ずや、実りある成果を獲得することができるでしょう。

燕三条貿易振興会発足、万歳っ!!!
posted by 国定勇人 at 09:13| 新潟 ☁| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする