2018年06月22日

知られざる戊辰戦役

IMG_5257.JPG

改選後初の定例議会となる本議会において、連日、一般質問が続いております。

そんな中、本日登壇された久住市議から“田島橋畔曲渕側堤防上に建つ「戊辰戦役記念碑」について”との質問通告に基づく一般質問を頂きました。

戊辰戦役に関する三条市の史跡としては、司馬遼太郎氏の小説“峠”のタイトルの由来ともなった、長岡藩家老河井継之助公が会津に向かう行軍路として用いられ、また同氏の遺した“八十里腰抜け武士の越す峠”という句でも有名な八十里越峠を除いて論ずることができないことは論を待たないところですが、久住市議が指摘するのは“八十里越だけが戊辰戦役に関する三条市の史跡ではないだろう”という点。

戊辰戦役150周年を迎えた今、それらにも目を向けるべきだというのが質問の主眼であったように感じました。

たしかに、三条市内では、6月1日に村松藩を中心とする東軍が西軍を撃破したと言われる赤坂峠の戦いのほか、同市議が指摘する8月2日に衝突した曲渕の戦いがありました(関連サイトはこちら)。

この曲渕の戦いでは、桑名藩を中心とする東軍(五十嵐川右岸田島側)と西軍(同左岸曲渕側)との間で激戦が繰り広げられ、今年のNHK大河ドラマ“西郷どん”の主人公西郷隆盛公の実弟吉二郎(当時、二番隊監軍)が被弾し、それが原因で同月14日に柏崎で死亡したと伝えられております。

そのように考えると、戊辰戦役は決して長岡市だけの話でもなく、三条市も大いに関係しているということに改めて気付かされます。

こうした歴史的事実を多くの市民の皆様に知っていただくべく、様々なイベント等を企画していきたいと考えております。

IMG_5252.JPG

写真は、薩摩藩主島津家の別邸だった仙巌園

西郷隆盛公を最初に見出した島津斉彬公が西洋化すべくあらゆる施設を集結させた集成館も隣接しています。

首長研究会の会場となった指宿市から日南市に移動する道中、どうしても立ち寄りたくて、30分だけ道草しました(その分、ランチの時間が殆ど取れなくなりましたが…)。

御殿の中を見学できるようになったのは今年になってからのようで、実にラッキーでしたが、驚いたのは外国人観光客の数の多さ。

これについては、改めて書き記したいと思います。
posted by 国定勇人 at 16:34| 新潟 ☀| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする