2018年10月11日

奇跡の軌跡@

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さて、そろそろ“燕三条工場の祭典”の振り返りを…

これまで何度か、“燕三条工場の祭典”の意義については触れてきたかと思いますが、このどの産地にも共通する云わば普遍的な意義をどのように実現することができたのか…ということについてはさほど言及してこなかったような気がしますので、ここに改めて…

云わずもがなのことかもしれませんが、“燕三条工場の祭典”が具現化できた最大の要因は、“数多くの工場が一斉にその扉を開くことができた”ということにあると考えております。

“何を今更…”と思われるかもしれませんが、これほど“言うは易し、行うは難し”のことはないということを強調しておかなければなりません。

何故ならば、工場こそ、ものづくり企業にとっての知的財産の宝庫であり、生命線そのものだからです。

この大事な工場を開放するということは、相当の覚悟と決断が求められることを意味します。

では、何故、私たちのまちはそれを乗り越えることができたのか…

それは、“小さなパイを奪い合うことに汲々とするよりも、大同団結することで新たな顧客を開拓することができるのではないか…”という大義を共有できるだけの中小企業経営者間のコミュニケーションが日常的に行われる素地が既に当時の燕三条地域に整っていたからだと私は分析しております。

こうした大義という同じ価値観を共有するコミュニケーション基盤が存在している実例が上の写真です。

この写真をご覧になって驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、ここにコラボしている二社、つまりマルト長谷川工作所諏訪田製作所は、国内外を席巻するニッパー型爪切りの二大ブランドで、いずれも燕三条地域にその本拠地があります。

つまり、誰もが認めるライバル関係にある会社です。

それがいとも簡単にコラボ企画を打ち出すだなんて、他の産地で考えられますか?

これこそ、両社がまさに“小さなパイを奪い合うことに汲々とするよりも、大同団結することで新たな顧客を開拓することができるのではないか…”という価値観を経営者同士だけでなく、会社同士全体で共有していることの証左だと思います。

考えてみれば、第1回目の“燕三条工場の祭典”で、この両社を始めとする大義を共有しあうコミュニケーション基盤に参画していた企業が牽引して、その輪を広げていったことが成功の鍵の1つであったと考えています。

こうした奇跡の積重ねによって、今の“燕三条工場の祭典”が存在しているということを私たちはもっと深く認識し、感謝しなければいけませんね。
posted by 国定勇人 at 13:13| 新潟 ☔| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする