
“ものづくりのまちを俯瞰せよっ!”と意味深なタイトルを付けましたが、あまり意味はありません…
今日から始まる3大ものづくりイベントに参加するため、数多くの市外県外からのお客様がお見えいただくことになると思うのですが、“燕三条地域ってどんなまちの形をしているのだろう?”という素直な疑問に対して、この地域を一望できる大崎山公園を紹介したいだけなのです…
しかし改めて眺めてみて、いつも心に引っ掛かっている疑問が再び沸いてきてしまいました…
それは…
“なんでこのまちで鍛冶製品(を始めとする金属加工を主軸としたものづくり)が盛んになったのだろう?”というもの…
何を今更っ!と思われるかもしれませんが、不思議なのです。
もちろん、燕三条地域のものづくりの歴史は一通り知っているつもりです。この大崎山公園の麓には、室町時代には大崎鋳物師が集積し、鉄器製造を行っていたことももちろん知っています。
でも…
鉄そのものが産出されない地域であるにも関わらず、他のどの地域でもない、この地域で盛んになったのかが、どうしてもよく分からない…というか、納得できないのです…(原料である鉄を運んでくるのであれば、わざわざ“ここ”である必然性がないという意味です。良質な砥石が産出したからだという話は聞いたことがあるのですが、本当に産出されていたのかもよく分かりません…)
誰かご存知の方、いらっしゃいますでしょうか?

ちなみに、明日からはいよいよ“燕三条工場の祭典”が始まります。
というわけで…
今更ながらではありますが、“これ、自分が書いた本です”と職員から3年前にプレゼントされ、“読もう、読もう”と思いつつ、3年間執務机に放置していた庖丁鍛冶を舞台にした文庫本を読み始めました。
なかなか面白いですっ!
そんな彼の新作が、先日ご紹介した燕三条工場の祭典公式ガイドブックに掲載されておりますので、気になった方は是非どうぞっ!
それこそ、彼は商工課の鍛冶振興担当で工場の祭典担当でもあったから、先ほどの疑問に答えてくれるかもしれませんね。
というわけで、S氏、お願いしますねっ!