
今般の台風19号により尊い生命を失われた方々の御霊に対し、衷心より哀悼の意を捧げるとともに、被災された皆様方に、心からのお見舞いを申し上げます。
全国各地で甚大な被害が広がっているところでありますが、三条市に限って申し上げれば、雨、風ともに荒れ狂う状態には至らず、お蔭様で殆ど被害が出ておりません。
三条市が置かれている、こうした状況を前提として、今回の台風災害に関する当市における私見を申し述べたいと思います。
まず最初に申し上げたいのは、ハード整備(ダム建設や河川改修、調整池の整備など)の重要性。
結論から申し上げると、もし三条市の上流に位置する大河津分水路がなければ、三条市はもちろん、県都新潟市を含む越後平野一帯は信濃川が決壊し、泥海化していたであろうと感じております。
これは極論ではありません。
現実に、明治29年7月22日に発生した“横田切れ”では、越後平野一面を泥水が覆い尽くし、その浸水は11月になっても続いた悪夢が実際に発生しているのですから…(ちなみに、この横田切れが契機となり、大河津分水路が開削されることとなりました)
横田切れの発生から120年近くが経過した今回の台風…
長野県の大半の雨水を一手に背負う千曲川(残念ながら、長野市内において破堤してしまいましたが…)、中越地方の雨水を集めた魚野川、そしてそれらを集めた信濃川を全て受け止めたのが大河津分水路でありました。
ご存知ない方も少なからずいらっしゃるかもしれませんが、この度の台風において(より正確に申し上げれば、今回の台風のみならず、災害時全般において)、大河津分水の下流にある、私たち三条市を縦断する“信濃川”は、信濃の水はおろか、大河津分水路より上流域の信濃川から流れ来る水を一滴たりとも預かってはありません。
それら大河津分水路よりも上流域から信濃川を通じて流れ来る水は“100%”、大河津分水路を通じて直接日本海に吐き出されているのです。
そして、今回、それら大量の水を引き受けることとなった大河津分水路は既往最高水位を記録しながらも、何とかその役目を果たし、越後平野を守ってくれました(関連記事はこちら)。
歴史に“もし”はないのでしょうが、そしてまだデータ分析が行われたわけではありませんが、大河津分水路がなければ、“横田切れ”のような事態が発生したか、或いはもしそうした状態に至らなくとも、私たちは、今回の台風への対策とは比較にならないほどの過度の緊張感と不安とを以って、台風と向き合わなければならなかったということだけは確かに言えることだと考えております。
こうしたことに思いを致すと、私たちは少なくとも、今回の台風災害時における大河津分水路の果たした役割を知り、大河津分水路の存在に感謝しなければならないと思います(報道はどうしても甚大な“被害が生じた”ところに目を向ける傾向にあるため、“機能した結果、被害が生じなかった”ところは、私たち自身が意識的に目を向けなければなりません)。
ハードなくして災害対策の土台なし。
これだけは断言できると思います。
でも、今の大河津分水路が万全というわけではないというのもまた事実であります。
実際、信濃川上流に当たる千曲川では破堤し、長野県内に甚大な被害をもたらしたのですから…
幸い、現在、大河津分水路の世紀の抜本的改修工事が進んでおります。
この工事が完成すれば、長野と新潟の県境部にある狭隘区間も解消することが可能となり、千曲川区域での根本的な安全性の向上も期待できるようになるはずです。
そのためにも、着々と、そして迅速に、ハード整備を進めなければ…
こうした思いに益々確信を持つようになった、今般の苦い経験でありました。