2020年03月06日

今、心掛けていること(雑感)

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遅きに失したかもしれませんが、本日を以って一旦、“新型コロナウィルス感染症対策本部”を“新型コロナウィルス感染症対策連絡調整会議”に格下げをしました。

理由は、三条保健所管内で確認された唯一の感染者となった方との濃厚接触者として特定されていた市内在住の方を含む全ての方が陰性であることが明らかになり、これによって、当該感染者を直接の原因とする更なる感染の広がりの可能性はなくなったためです。

確認されたのは一昨日の3月4日でありましたが、冒頭申し上げたとおり、体制の格下げのタイミングも遅きに失したのかもしれません。

さて、今回の格下げの判断に至る私の思考回路(立脚すべき価値観)には、@社会不安を助長する側に回らないこと、A事態が更に悪化したときの場合に備え、切るべきではないカードは切らない(温存しておく)こと、の2点がありました。

これは、私だけが感じていることなのかもしれませんが、罹患者が1人でも生じている地域を除いた多くの地域では、本来講ずれば済むべき対策を遥かに上回る過剰な対策を求められるような同調圧力が日増しに高まっているような気がしてなりません。

流行段階ごとに講ずべき対策にもまた段階があるのは当然であり、私たちは期待される範囲内での対策で納得する理性を社会全体で持ち続ける努力をしなければならないところでありますが、繰り返すようですが、最近の風潮はその適正水準を遥かに上回る同調圧力が高まっているように感じるのです。

この同調圧力の高まりを放置すれば、それは即ち社会不安を助長することに繋がり、感染症対策という本来の目的を見失ったパニック状態に陥ってしまいかねません。

少なくとも、私たち基礎自治体は、流行段階ごとに講ずべき対策“のみ”を講ずることを愚直に守り続けることで、社会不安を助長する側に回らない立場を堅持しなければなりません。

と同時に、流行段階ごとに講ずべき対策“のみ”を講ずることは、事態が更に悪化したときの場合に備え、切るべきではないカードを切らずに済む(温存しておくことができる)という副次的効果をもたらします。

私たちは、災害発生が予見されるとき、私たちが事態の緊迫度をどのように捉えているのかを的確に伝えることのできるカードとして、“避難準備・高齢者等避難開始”“避難勧告”“避難指示”という3枚のカードを持っておりますが、これらを早く切り過ぎても、事態が悪化したときに地域住民に更なる事態の悪化を伝える術を失いますし、遅く切り過ぎても、地域住民が避難するタイミングを失ってしまうわけですが、これと同じことが今回も生じていると思うのです。

今の三条市をこの水害対応に捉えるならば、“避難準備・高齢者等避難開始”を発令するかどうかを行ったり来たりしている状態…というのが私の相場観です。

この結果、私どもの対応に心許なさを感じる皆さんも多いかとも存じますが、更なる事態の悪化に備えるため、理性的にグッと堪えているのだと受け止めていただければ幸いです。
posted by 国定勇人 at 15:12| 新潟 ☔| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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