
志村けんさんが新型コロナウィルス感染症が原因で他界されました…
私にとっても、子供の頃から大好きなテレビで輝いているスターだっただけに、少なからず色々な感情が込み上げてまいります…
でも、私たちは、それでもなお“正しく”恐れ、行動しなければなりません。
これについては、午後の新型コロナウィルス感染症対策連絡調整会議終了後に改めて書き綴っていきたいと思います。
さて…
昨日、4月1日から新たに供用開始する一般廃棄物最終処分場の竣工式が挙行されました。

この竣工式の式辞の中でも申し上げたことなのですが、私たちは、この最終処分場を受け入れる決断をしていただいた施設周辺の住民の皆さまに感謝し続け、1人ひとりの心の中に間違いなく芽生えていたであろう不安のお気持ちであったり、“何故他の場所ではなく、ここなのか?別の場所でいいではないか!”という感情であったりをグッと堪え、三条市全体の将来にわたる公益(最終処分場がなければご家庭から出てくる毎日のゴミの処理が滞ることとなります)のために、苦渋の選択をしていただいた心の葛藤を忘れてはなりません。
今回、供用開始する最終処分場は、現行の最終処分場とは全く異なり、処理施設が完全に屋根で覆われ、風雨等の影響を受けることのない完全閉鎖型を採用したほか、同施設の下部や側面を防御シートで覆い、漏水検知センサーを設け、同施設に搬入される焼却灰などから生ずる水分を水一滴たりとも外部に漏らさないような監視システムを構築するとともに、同施設から生ずる水を併設する水処理施設で無毒化し、再び処理施設の散水等に用いる水の完全な自己完結型循環システムを採用するなど、徹底的な安全性を追求しました。
それでも、これら安全性の追求は“安全”を保証するものであっても、1人ひとりの心に自然に生じてしまう不安がない状態の“安心”を保証するものではありません。
何故ならば、“安心”に至るまでの“不安”は、理性や合理性に立脚する“安全性”に起因するものではなく、心情であったり、自らの葛藤を克服したとしてもなお防ぐことのできない風評被害といった社会的心理に起因するものだからです。
いわゆる迷惑施設であれば、なおのこと。
ですから、具体的な場所の提示から1年に満たない中で概ねの判断をいただいたことはそれ自体が奇跡に近く、だからこそ、それらは全て私情よりも公益を選択していただいた施設周辺にお住いの皆さまの懐の深さによるものであるということを私たちは今後末永く語り継いでいく責務があると思っています。
改めて、ここに心から感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。

この写真は供用開始後は決して撮影することのできませんね。
万感の思いで写真に収めさせていただきました。