2020年05月06日

その都市らしさを保つ、縁の下の力持ち

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午後から庁内の連絡調整会議を開き、昨日県から示された新たな基本方針を受けての私たちの基本的姿勢を決めたいと思います。

というわけで、新型コロナウィルスに関する三条市の新たな情報をご希望の皆さま、本日中に再度ブログ更新しますので、少々お待ちくださいませ。

閑話休題。

以前、“ドイツは何故各都市がそれぞれ独自の文化、経済、社会、生活基盤を維持しているのか?”“ドイツは地方分権(連邦より州はもとより、州より各都市)が進んでいるのか?”という問いをドイツ在住の日本人ジャーナリストの高松平蔵さんに伺ったところ、“ドイツの都市にはそれぞれ、必ずと言っていいほど、その都市固有の新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミが存在している。その存在が大きいのではないか?”“彼らは市民の声を拾い上げ、世論形成していく力を持っているだけでなく、情報の蓄積によるアーカイブ的機能も果たし、結果として、その都市のアイデンティティ(特徴、匂い、市民性…)を形成、保存することにも貢献しているのではないか”との興味深い示唆に富んだ見解を聞かせていただいたことがありました(ちなみに、高松平蔵さんのこちらのページには、新型コロナウィルス感染症拡大期におけるドイツ事情が日本語で分かりやすくコラム形式で掲載されております。大変参考になりますので、是非どうぞ)。

それを聞いて、ハッと思ったのです。

“あぁ、それで、三条市は、燕三条地域は、県内でも一種独特の地位を確立しているのか”と…(ここでいう“一種独特の地位”というのは、単に“ものづくり”というアイデンティティだけを指すのではなく、何となく独立独歩というか、他地域に流されないというか、独特の価値観を有しているというか、独立旺盛というか、他地域とは異なる強烈な匂いを発しているというか、そういう感じです…)

三条市には、新聞は三條新聞さん、ラジオは燕三条エフエム放送さん、WEBメディアはケンオードットコムさん、という独立系メディアが存在し、それぞれ広く市民に親しまれ、ここから発せられる情報は私たちが生活する上で欠くことのできないものとなっております(新潟日報さんも大いに貢献していただいており、特に県央紙面の存在はこれらに等しい価値のある基盤だと思っています)。

実際、高松さんが三条市に来訪され、こうしたメディア事情をお話ししたときに、“日本で本質的な地方分権が進まないのは各都市にメディアがないこと、それを維持する環境が育っていないことだと思っていたのですが、三条は随分状況が違うんですね”と感嘆されたことを思い起こします。

で…

何故、こうしたことをこのタイミングで書き綴っているのかというと、新型コロナウィルス感染症拡大のような“非常時”になると、三条市にこうしたメディアが存在していることのありがたみをつくづく感じるからです。

平常時からの積み重ねにより市民からの圧倒的な信頼を獲得しているこれらのメディアが、三条市、或いは県央地域に特化した情報を、私たちの肌感覚に近い情報を、私たちが知りたいと思っている(空中を空回りしているような地に足の付かない情報でない)情報をこうした状況下で流していただけることがどれだけ私たちを安心させるのか…

本当に頼りになる存在です。

私自身がネタにされることも多い(⁉)これらのメディアでありますが、本当に感謝しております。

なかなか申し上げる機会もないものですから、ちょっとした時間の合間を見計らって…

今度とも、宜しくお願い申し上げます。
posted by 国定勇人 at 13:10| 新潟 ☁| ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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